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日本人のための近現代社会you 1,872 views 6:51 175 満州事変と第二次国共合作(教科書358)世界史20話プロジェクト第18話 - Duration: 34:37. 人口が満州事変直前には3000万人だったのが1941年には5000万人と飛躍的に人口数も上がっているのもうなずける結果です。 満州族の人たちは日本に感謝の意があり、日本の傀儡政権も悪い事ではありま … むしろ張作霖のあとを継いだ息子の張学良は日本軍に強い恨みを持つことになります。国民の中には1920年代の不況に対して政党内閣が有効な手を打てなかったことへの反発がありました。中国と直接交渉し欧米との摩擦を最小限にしようとしますが、軍部の反発を買います。しかし、中華民国は国内が混乱していたため日本の動きを止めることができなかったのです。そこで、植民地が欲しい日本は中華民国各地で軍閥(地方を支配するボス)が互いに争う状況を利用します。ロシアとは何度かの話し合いの末、互いの勢力圏を確定させました。辛亥革命の後にできた中華民国は日本の動きを認めず、権利を回復することを主張していました。でも、陰謀めいた動きもあってちょっと実態が分かりにくい事件でもあります。国民に対して戦争熱をあおり、軍事行動を支持する報道をしたのです。その戦争に日本が勝つためにはどうしても満州が必要だというのが石原の考えだったのです。しかし、関東軍は若槻の制止を振り切って戦線を拡大します。ついにはコントロール不能となった若槻は内閣を総辞職します。首謀者の関東軍参謀の河本大作大佐は停職処分という軽い処分で済まされました。満州国の重要な役職には、関東軍の承認がないとなることはできませんでした。ちなみに、石原はその戦争は航空機が中心となると予言し、のちにその予言は的中します。満州事変以後、青年将校たちによる実力行使の動きが活発になりました。そしてなんと蒋介石の味方になることを宣言し、日本と決別してしまいました。満州事変がそれらの解決になるかもしれないという期待感があり、こうして強硬な世論が作られていったのです。特に二・二六事件後に成立した広田弘毅内閣は陸軍の要求を大幅に飲んで成立しました。関東軍は計画通りに満州各地を次々と占領し、1932年2月、関東軍は満州全土を制圧しました。張学良は中国国民党(蒋介石の配下)として戦い、毛沢東との協力を拒む蒋介石を力づくで妥協させ(西安事件)、毛沢東との共同戦線を作らせます(抗日民族統一戦線)。張作霖爆殺事件から四か月後の1928年10月、石原莞爾が関東軍の参謀となりました。犬養内閣は満州国を承認しませんでしたが、斎藤内閣はこれを承認したのです。日本は張作霖に北京を放棄して満州の守りを固めるようアドバイスをしますが、張作霖は蒋介石と決戦してしまいます。犬養毅を暗殺した五・一五事件、陸軍の一部が首都東京の主要施設を占領したクーデタ未遂事件である二・二六事件などが起きました。当時、中華民国で最も有力となっていたのは中国南部から北上してきた蒋介石です。満州事変が起こる当時の中華民国は不安定な状況が続いていました。 蒋介石は、「日本とはなるべく争わずに国内の安定化を優先させよう!」と、日本側の条件の受け入れや『満州国』の存在をも認め『 塘沽停戦協定 (たんくーていせんきょうてい)』を結ぶ。 これで、 満洲事変は終結された のであった。 【ホンシェルジュ】 1930年代は、世界にとって激動の時代でした。世界恐慌による経済不安、ナチスドイツの台頭といった第二次世界大戦へのカウントダウンともいえる出来事が相次いで起こります。日本も例外ではなく、満州事変をきっかけに世界からの孤立が始まりました。 本書は、満州事変で日本国内の政治がどのように動いていったかを、あますところなく教えてくれます。そして、日本国内の政党政治と日本軍部のパワーバランスの崩壊について、何が原因だったのかを知ることができる一冊です。また満州事変が起こるまでに、国際連盟など世界の国々でどのような動きがあったのかを教えてくれます。張作霖爆殺事件や柳条湖事件での関東軍の行動は世界からも非難され、日本政府にも「国際連盟を脱退すべし」という空気が出はじめます。リットン調査団の報告書をもとに、国際連盟は、圧倒的多数で満州国の不承認および満州国からの日本軍撤退を決定しました。満州事変が起こるきっかけとなった要因を、日中関係を中心に、アメリカやイギリス、国際連盟などワシントン体制下の世界から考察しています。日本はそれに従えないとして、国際連盟から脱退することになります。国際連盟やアメリカは、日本の中国内における利権を黙認していたようです。それを不満に思った中国と日本の間に起こった小競り合いが、満州事変の原因になっていると指摘しています。軍事地誌の作成のために満州を調査していた旧日本軍中尉・中村震太郎が国民党軍からスパイとみなされ、殺害された事件によって、日中関係の悪化が決定的になりました。(中村中尉は死後大尉に特進)しかし、盧溝橋事件によって再び日本が中国南部への進出の口実を作ると、日中戦争が起こります。それでも対立は解消されませんでしたが、蔣介石の部下となっていた張作霖の子、張学良が蔣介石を拉致して毛沢東との結託を提案、これを受け入れさせます。また第一次世界大戦ではドイツに宣戦布告し、中国にあるドイツの租借地だった青島を攻撃します。その後、ドイツには中国へ租借地を返させた後、中国から対華21箇条要求を介し改めて満州のあらゆる利権を譲り受けたのです。このことを「第二次国共合作」と呼び、中国国内の内戦は一時休戦し、毛沢東と蔣介石は同盟を組むことになりました。皮肉なことに、毛沢東と蔣介石らにとって、日本という新たな敵が増えたことで結託せざるを得ない状況になったのです。満州事変での関東軍と、日本政府重鎮の動きにスポットを当てて、満州事変の全容を解明しようとしている本です。関東軍の暴走だけで満州事変が起こりえたのだろうか、と疑問に思った時、本書が新たな要因に気づかせてくれることでしょう。それに加えて関東軍は、先述したように日本が所有する満州鉄道に破壊工作を仕掛け、それを中国軍の策略として中国軍を攻撃しました。日本政府の対応に不満を持っていた軍人もいたことを指摘し、その中心人物だった永田鉄山、石原莞爾、河本大作の持っていた思想をピックアップして紹介しています。このような意見の対立は、国際協調路線を主導していた浜口雄幸首相によって絶妙なバランスが保たれていたのですが、浜口が暗殺未遂事件に遭って首相職を辞職し、若槻礼次郎が首相になると、そのパワーバランスが崩れて軍部の動きが加速することになったのです。張作霖は中国内戦中の軍閥のひとりで、日本政府が支援していた人物です。彼は当初日本の支援に好意的でしたが、共産党と国民党が仲間割れしたことをきっかけに欧米に接近し、南満州鉄道や関東軍をないがしろにする行動が多くなりました。またそれだけでなく、日本政府に不満をもっていた人物が関東軍内にいたことがさらなる拍車をかけました。張作霖爆殺事件の首謀者、関東軍参謀の河本大作は、日本政府側の国際協調路線を「お人好し」と非難し、「満州の鉄道利権を守るためにはクーデターのひとつでも起こすほかない」と、友人に伝えています。満州事変は関東軍の独断行動によるものと考えられています。関東軍によって満州事変が引き起こされたわけですが、その目的は言うまでもなく満州を獲得したいがためでした。しかし、なぜ満州の利権を獲得する必要があったのでしょうか?さらに日本は1904年の日露戦争に勝ち、南満州にある鉄道利権をロシアより譲り受けていました。これを口実に関東軍は満州にある中国軍拠点を攻撃し、満州全土を占領して満州国を建国しました。満州の権益をより確実にしようと、はじめから画策していたのです。日本の持っていた中国権益に加えてこの内戦状態は、日本のさらなる領土拡大、資源獲得のための絶好のチャンスでした。張作霖の立場が悪くなっても田中総理大臣は「張作霖に利用価値あり」と、支援の継続を希望し、関東軍の張作霖排除の意見を却下しました。すると関東軍は、張作霖が乗っていた列車ごと爆破し、彼を強行排除したのです。当時から満州国の建国計画を立てていた関東軍からすると、張作霖は目の上のたんこぶともいえる存在になっていったのです。著者は、日本政府は満州事変を止めるチャンスがあり、それをできなかったがために満州事変が起こったと述べています。関東軍が暴走する背景となった世界の出来事はなんだったのかでしょうか。満州事変の直接的原因となった柳条湖事件から、関東軍と内閣や陸軍省など日本政府の行動方針を読み解きます。当時の日本政府の外交方針は、ワシントン体制と呼ばれるワシントン軍縮会議で決められた世界秩序を守るため、協力者である張作霖の力を温存しつつ、日本の影響力を維持する方向でした。つまり、外交努力によって国際協調しようという考えだったのです。日本を取り巻く環境は、満州事変を起こしてから劇的に変化しました。中華民国と呼ばれていた当時の中国は、1911年の辛亥革命で清朝が滅亡した後、誰が中華民国を統治するかで揉めていました。彼らは一枚岩ではなく、毛沢東率いる共産党と、共産主義に反対する蔣介石率いる国民党、さらに共産党にも国民党にも属さない軍閥との三つ巴の内戦となっていたのです。満州事変が起こるまで、あるいは満州事変中、関東軍や日本政府はどう動いていたのでしょうか。そして、その中心人物となっていた人たちは、どのような考えをもって満州事変にあたっていたのでしょうか。満州事変が起きてから、力を強めていく旧日本軍勢力と、弱めていく日本政府。これらの政治勢力について詳しく書かれています。しかし日中戦争の終結後に再び内戦が起こり、勝利したのは毛沢東率いる共産党でした。毛沢東は中華人民共和国の設立を宣言、敗北した蔣介石率いる国民党は台湾へと敗走し、台湾民国として独自政権を樹立することになるのです。満州をめぐっての外交と、旧日本軍の軍事というアプローチから満州事変について考えていきます。一方で、軍部のなかには来たる戦争に備えて満州国を建国し、利権を確保しようという強硬的な意見を持つ軍人もいました。また満州事変という関東軍の暴走を最終的に政府が是認したため、日本国内ではしだいに政府よりも軍部の発言力が上回るようになります。ある議員が国会で軍部より派遣された説明員を批判したところ、「黙れ!」と一喝され、そのまま引き下がってしまったことがあるくらいでした。満州事変が起こる前と後で、世界の日本を見る目が変わっていきました。満州事変前の世界諸国は、日本の中国利権を黙認し、日本有利の情勢でしたが、満州事変後は対日本包囲網を構築していったのです。この2つが満州事変の直接の原因だといわれています。これらは満州での関東軍の行動を正当化するための口実として利用されました。満州事変の関東軍の表立った口実は「敵による攻撃から守るための自衛行動」、「満州にいる居留民の保護」だったようですが、実際は関東軍が満州利権の獲得という目的達成のためだけにおこした、独断行動だったといわれています。そんな空気のなかで、日本政府や外交に不満を持っていた軍人が天皇を中心としたナショナリズムに燃え、五.一五事件や二.二六事件が起こります。ことの発端は満州にある柳条湖近くでの、満州鉄道爆破事件でした。いわゆる柳条湖事件といわれるもので、この頃満州にいた関東軍は、この事件の犯人を中国軍だとでっちあげたのです。満州事変が起こり、満州国が建国された後も、中国では毛沢東率いる共産党と、蔣介石率いる国民党の内戦が続いていました。1930年代は、世界にとって激動の時代でした。世界恐慌による経済不安、ナチスドイツの台頭といった第二次世界大戦へのカウントダウンともいえる出来事が相次いで起こります。日本も例外ではなく、満州事変をきっかけに世界からの孤立が始まりました。そんな満州事変について書かれている書籍を紹介します。関東軍の独断行動の原因ともいわれる関東軍参謀のひとり石原莞爾は、関係が悪化しつつあったアメリカや、共産主義国家として成長していたソ連との戦争に備えるために、満州を手に入れようと考えていた節があったようです。満州事変とは、1931年、中国の遼東半島に駐留していた旧日本軍の一派である関東軍が主導となり、満州(現在の中国・瀋陽辺り)の利益を狙って事実上の日本の傀儡国家・満州国を建国した事件です。柳条湖事件が陰謀であることが国際連盟の調査で分かると、日本は各国から猛烈な批判を受けました。そして最終的に国際連盟から脱退し、世界から孤立していきます。その後に起こる国際連盟脱退、政党政治が崩壊する決定打となった五.一五事件や、現代にも禍根を残す日中戦争などについても論じた一冊です。 リットン報告書は、もちろん満州国の独立は認めないが、80%日本が正しいと言っている。中国は法律も約束も守らない、進化していく文明に追いつこうとしないで怠惰な民族であるとさんざん書かれている。そして日本のことを信じられないくらい賞賛している。
日本人のための近現代社会you 1,872 views 6:51 175 満州事変と第二次国共合作(教科書358)世界史20話プロジェクト第18話 - Duration: 34:37. 人口が満州事変直前には3000万人だったのが1941年には5000万人と飛躍的に人口数も上がっているのもうなずける結果です。 満州族の人たちは日本に感謝の意があり、日本の傀儡政権も悪い事ではありま … むしろ張作霖のあとを継いだ息子の張学良は日本軍に強い恨みを持つことになります。国民の中には1920年代の不況に対して政党内閣が有効な手を打てなかったことへの反発がありました。中国と直接交渉し欧米との摩擦を最小限にしようとしますが、軍部の反発を買います。しかし、中華民国は国内が混乱していたため日本の動きを止めることができなかったのです。そこで、植民地が欲しい日本は中華民国各地で軍閥(地方を支配するボス)が互いに争う状況を利用します。ロシアとは何度かの話し合いの末、互いの勢力圏を確定させました。辛亥革命の後にできた中華民国は日本の動きを認めず、権利を回復することを主張していました。でも、陰謀めいた動きもあってちょっと実態が分かりにくい事件でもあります。国民に対して戦争熱をあおり、軍事行動を支持する報道をしたのです。その戦争に日本が勝つためにはどうしても満州が必要だというのが石原の考えだったのです。しかし、関東軍は若槻の制止を振り切って戦線を拡大します。ついにはコントロール不能となった若槻は内閣を総辞職します。首謀者の関東軍参謀の河本大作大佐は停職処分という軽い処分で済まされました。満州国の重要な役職には、関東軍の承認がないとなることはできませんでした。ちなみに、石原はその戦争は航空機が中心となると予言し、のちにその予言は的中します。満州事変以後、青年将校たちによる実力行使の動きが活発になりました。そしてなんと蒋介石の味方になることを宣言し、日本と決別してしまいました。満州事変がそれらの解決になるかもしれないという期待感があり、こうして強硬な世論が作られていったのです。特に二・二六事件後に成立した広田弘毅内閣は陸軍の要求を大幅に飲んで成立しました。関東軍は計画通りに満州各地を次々と占領し、1932年2月、関東軍は満州全土を制圧しました。張学良は中国国民党(蒋介石の配下)として戦い、毛沢東との協力を拒む蒋介石を力づくで妥協させ(西安事件)、毛沢東との共同戦線を作らせます(抗日民族統一戦線)。張作霖爆殺事件から四か月後の1928年10月、石原莞爾が関東軍の参謀となりました。犬養内閣は満州国を承認しませんでしたが、斎藤内閣はこれを承認したのです。日本は張作霖に北京を放棄して満州の守りを固めるようアドバイスをしますが、張作霖は蒋介石と決戦してしまいます。犬養毅を暗殺した五・一五事件、陸軍の一部が首都東京の主要施設を占領したクーデタ未遂事件である二・二六事件などが起きました。当時、中華民国で最も有力となっていたのは中国南部から北上してきた蒋介石です。満州事変が起こる当時の中華民国は不安定な状況が続いていました。 蒋介石は、「日本とはなるべく争わずに国内の安定化を優先させよう!」と、日本側の条件の受け入れや『満州国』の存在をも認め『 塘沽停戦協定 (たんくーていせんきょうてい)』を結ぶ。 これで、 満洲事変は終結された のであった。 【ホンシェルジュ】 1930年代は、世界にとって激動の時代でした。世界恐慌による経済不安、ナチスドイツの台頭といった第二次世界大戦へのカウントダウンともいえる出来事が相次いで起こります。日本も例外ではなく、満州事変をきっかけに世界からの孤立が始まりました。 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