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今回は、百田尚樹さんのデビュー作品から現在までに出版された、全作品一覧と新刊&文庫本情報をご紹介します。まだ、読まれていない本があれば、これを機に読んでみてはいかがでしょうか。 著者 百田尚樹 (著).
人生で最も大切なもの。それは、勇気だ。ぼくが今もどうにか人生の荒波を渡っていけるのは、31年前の出来事のおかげかもしれない――。昭和最後の夏、ぼくは仲の良い友人2人と騎士団を結成する。待ち受けていたのは、謎をめぐる冒険、友情、そして小さな恋。新たなる感動を呼び起こす百田版「スタンド・バイ・ミー」、遂に刊行。家は貧しく、母子家庭で生活保護を受けていた。隣に住んでいる陽介の祖母も、近所に住んでいる陽介の叔母も、生活保護を受けていた。当時は生活保護という制度が今ほど一般的ではなく、町の人の多くは働かないでお金をもらうのは恥ずかしいことだと考えていた。一度、うちの母が「木島君も大きくなったら、多分生活保護を受けるやろな」と言った。ぼくが理由を聞くと、母は「生活保護というのは連鎖するんや」と答えた。自分の友人が母にそんなふうにバカにされて決めつけられるのを聞くのは嫌だったが、社会も人生も知らないぼくには、何と言い返せばいいのかわからなかった。「今までもぼくらは仲良かったけど、騎士団を作ったら、もっと団結力が高まる」日常的な身の回りの出来事から、世界を揺るがすニュースまで、本が扱うテーマは森羅万象。四季折々の年間イベント、仕事、暮らし、遊び、生きること、死ぬこと……。さまざまなテーマに沿う本の扉をご用意しました。扉を開くと読書の興味がどこにあるのか見えてきます。小学校最後の夏を迎えようとしていた頃、ぼくは意気地なしで臆病な子供だった。それを周囲に知られないように、いつも陽気にふるまい、時には向こう見ずな風を演じてもいた。しかし今思えば、同級生たちには本当はそうではないとばれていたかもしれない。というのも、口だけは達者だったが、ケンカになりそうになると、途端に意気地なしになったからだ。それでもいじめられっ子にならなかったのは、二人の友人がいたからだ。もっとも、その二人はぼくのボディーガードになってくれるどころか、ぼく以上にケンカが弱かった。有村由布子は同じクラスの女子で、学校一の美少女だった。背はぼくよりも頭ひとつ分は高く、長い髪の毛は背中の真ん中近くまであった。とても大人びた魅力があり、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。実際、有村由布子はぼくらよりも一歳上だった。彼女は帰国子女で、アメリカで病気をしてしばらく学校へ通っていない期間があったのと、学期の始まる関係か何かで、一年前、アメリカから転校してきたとき、本来は六年生なのに五年生からスタートしたのだ。それにおそらく両親が東京出身なのだろう、きれいな標準語を喋った。人知れず忠誠を誓うのが騎士の姿だと、ぼくはぼんやりと考えていたが、二人の意見は、それでは意味がないというものだった。一時間以上議論した末に、本人に告げることになった。このとき、今後、騎士団としての行動は話し合いで決め、意見が分かれたときは多数決で決定するということも決まった。今でも惜しいなと思うのは、秘密基地の写真を撮っておかなかったことだ。息子たちに見せてやれば、父は大いに尊敬を集めたに違いない。父と中学生は団扇の取り合いで揉み合いになり、それは殴り合いに発展した。父は中学生にさんざんに殴られ、地面に叩きつけられた。鼻血で顔も服も真っ赤になって地面に這いつくばる父の姿は、その後、何年も夢の中に現れた。今でも、鼻血を見ると、そのときの嫌な記憶が蘇る。ところで、有村由布子を騎士団のレディにするとして、それを彼女に告げるかどうかが、騎士団の会議の最初のテーマになった。「なれるよ」とぼくは言った。「それを目指せば、きっとそうなるんや。ひとりやったら無理かもしれんけど、三人おったら頑張れる」とぼくは一呼吸おいて言った。これから最も重要なことを二人に言わなければならない。たしかにそうかもしれないと思った。それならなおのこと騎士が愛を捧げる相手としてふさわしい。宅地造成業者が秘密基地の跡に気付いたかどうかはわからない。そのころには基地の天井も扉もなくなっていたし、中にあるソファーやテーブルを見て、ゴミ捨て場と勘違いされたかもしれない。あるいは、ホームレスの住居跡とみなされたかもしれない。ただ、作業員の中に、何かを思い出した者がいた可能性はある。というのは、騎士団が結成された年の夏の終わり、基地周辺はニュース映像で何度も取り上げられたからだ。「違うんや。なんでかと言うと、さっき言うたように、付き合ったりはせえへんからや。これはミンネと言うて、普通の愛よりもっとすごいんや」ぼくが「騎士団」を結成しようと考えたのは、小学校の最後の夏休みに入る約一ヵ月前だった。きっかけは学校の図書館で借りて読んだ子供用の『アーサー王の物語』だ。岩に突き刺さった名剣エクスカリバーを引き抜き、偉大な王になった伝説の英雄の話である。「そやけど、お姫さまって、おとぎ話かファンタジーの世界みたいやないか」陽介が言った。「ドラクエみたいやで」「まあ、ええわ。ほんで、その貴婦人というのは誰なんや」陽介が訊いた。「あいつは親の期待につぶされてしもたんや。いっつもできのいい兄貴たちと比べられて、きついんやと思う。あのままでは、ほんまの劣等生になってしまう」ぼくらは基地内の小さな丸テーブル(これも粗大ごみ置き場から持ってきたものだ)を囲んで座っていた。入口の扉を開けていたから、蝋燭をつけなくても互いの顔がよく見えた。陽介は自分のことは棚に上げて健太のことを心配していた。たしかに健太はぼくらと出会った五年生の頃から急速に学力を落としていた。それでも陽介よりはかなりましだった。松ヶ山は町はずれにある小高い丘だ。小学校からは三キロ近く離れている。山という名前が付いてはいるが、高さはせいぜい三〇メートルほどの小さな丘だ。古墳の跡だと言う人もいたが、何かが出土したという話は聞いたことがない。今もどうにか人生の荒波を渡っていけているのは、ほんのわずかに持ち合わせた勇気のおかげかもしれない。「今はドラクエは忘れよう。実際に、中世の騎士は姫に愛と忠誠を誓ったんや。これは本当の話や。おとぎ話やないんや」ぼくは団扇を取ろうと懸命に手を伸ばしたが、背の低い子供では団扇を取るのは無理だった。父はそんなぼくのために何とか団扇を取ろうと頑張ってくれた。たまたまぼくの頭上に団扇が落ちてきて、父はそれを掴んだ。その瞬間、ぼくは歓声を上げた。ところが、父よりもわずかに遅れて、背の高い中学生が同じ団扇を掴むと、そのまま父から団扇を奪い取った。父は中学生から団扇を奪い返した。ぼくの目には父はスーパーマンのように見えた。しかしその喜びは次の瞬間に悪夢に変わった。その後のことはこうして書くのも気が重い。「そのあたりはぼくもようわからへんけど――多分、付き合いたいというもんやないんやないかと思う。そやけど、それは付き合ったりするよりもずっと素晴らしい愛なんや」「健太は俺らしか喋れる相手がおらへんのや。そやから、俺らはあいつの友達でおらんとあかん」その日以来、ぼくは同級生と本気でケンカができなくなった。口ゲンカの間はいいのだが、それが殴り合いに発展しそうな空気になると、恐怖で体がすくんだ。自分でも情けなかったが、父からその性質を受け継いだのだから仕方がないと思った。1956(昭和31)年、大阪市生れ。同志社大学中退。放送作家として「探偵!ナイトスクープ」等の番組構成を手掛ける。2006(平成18)年『永遠の0』で作家デビュー。他の著書に『海賊とよばれた男』(第10回本屋大賞受賞)『モンスター』『影法師』『大放言』『フォルトゥナの瞳』『鋼のメンタル』『幻庵』『戦争と平和』などがある。ぼくが騎士団結成の理由をこじつける前に、陽介が「面白いやないか」と言った。当然、クラスの男子の憧れの的だったが、有村由布子はクラスの幼い男子など眼中にない感じだった。ぼくらのクラスでは、男子は女子を呼び捨て、女子は男子を君付けで呼ぶことが多かったが、有村由布子だけは男子からも女子からも「さん付け」で呼ばれていた。つまりそれくらい独特のオーラがあったのだ。「肉体的な愛ってなんやねん。精神的な愛というのも、意味不明やで」陽介と健太はうなずいたが、同時に二人の顔が少し赤くなった。ぼくは見てはいけないものを見てしまった気持ちになって、視線を頭上の入口に向けた。開けた扉から見える小さな青い空に、一条の白い線が引かれるのが見えた。あっと思った。それは飛行機雲だった。飛行機雲なんて何度も見ていたが、あれほどくっきりとしたのを見たのは初めてだ。今も、飛行機雲を見ると、あの騎士団結成の日を思い出す。「騎士団」が結成されたのは六月の最後の日曜日だ。前日まで雨が降り続いていたが、その日は朝から晴れていた。ものすごく暑い日だったのを覚えている。もっとも秘密基地で何をやるというわけでもなかった。パンを食べたり、バカ話に花を咲かせたり、トランプの大貧民をやったりするだけだ。でも、ぼくらにとって、そこはどこよりも神聖な場所だった。これは百科事典そのままの受け売りだったが、二人は感心して聞いていた。「でも、その愛は普通の愛やない。宮廷的愛とゆうて、肉体的な愛やなくて、精神的な愛なんや」天井の板の上には土を置いて擬装したが、扉部分はそうはいかない。でも陽介がいいアイディアを思い付いた。発泡スチロールを細かくちぎって扉一面に貼り付け、その上に茶色の塗料をぶっかけるというものだ。それで一見すると、土に見えた。陽介は勉強はからきしできないが、そういう発想はすぐれている。ぼくはずっと自分の臆病さをなくしたかった。ぼくの臆病は父譲りだった。そんな遺伝があるのかどうかは知らなかったが、少なくともぼくはそう信じていた。いつもは野球の話で盛り上がるのに、阪神タイガースが早々にペナントレースから脱落して大洋ホエールズと最下位争いをしていたこともあって、話題にすら出なかった。おまけに頼みのバースはアメリカに一時帰国したまま一向に帰ってこなかった――結局、そのまま退団となった。五年生の終わりに発売された「ドラゴンクエストⅢ」は、ぼくらの大好きなゲームだった。いや、ぼくらだけではない、クラスのほとんどの男子がやっていた。「騎士の愛やな。これは何か見返りを求めるものやないんや。すごく尊いもので、ドイツでは騎士の『宮廷的恋愛』をうたった歌をミンネザングといい、それを歌う吟遊詩人はミンネゼンガーと呼ばれてたんやで」ぼくがその名を出したとき、陽介と健太の顔がぱっと明るくなった。一冊の本には、他のいろいろな本とつながる接点が隠れています。100年前の物語や、世界の果ての出来事と、実は意外な関係があるのかもしれません。本から本へ、思いがけない出会いの旅にでてみませんか。どのルートを選ぶかは、あなた次第です。あの夏、ぼくは「勇気」を手に入れた。稀代のストーリーテラーによる約3年ぶり、渾身の長編小説。松ヶ山はそれから十年後に大規模な宅地開発がなされ、今は丘全体が住宅街になっている。地名も変わり、桜ヶ丘という洒落た名前の町になった――当時は桜の木なんか一本もなかった。もちろん秘密基地があった形跡などどこにもない。「騎士はまず強ないとあかん。ほんで、何よりも名誉と勇気を重んじるんや。正直で、礼儀正しいふるまいをせなあかん。どんなときでも仲間を大事にする。そういう騎士団を作るんや」織田信長に一族を滅ぼされ、武門の再興をはかりながら、絵筆に生涯をかけた。〈とんぼの本〉は、1983年の創刊。 美術、工芸、建築、写真、文学、歴史、旅、暮らしをテーマにしたビジュアルブック・シリーズです。今、ぼくの書斎の机の引き出しの中には、騎士団のバッジが眠っている。盾がデザインされた二センチほどの小さなもので、陽介がハンダを溶かして作った。当時は裏に安全ピンをハンダで付けていたが、今は取れてバッジ本体しか残っていない。あの夏、ぼくらはそれをシャツに付けていた。大人になってから何度も考えたことがある。それは、あのとき、二人が騎士団結成を「くだらない」と思って興味を示さなかったなら、ぼくの人生は全然違ったものになっていたかもしれない、ということだ。いや、もしかしたら、ぼくは勇気を得ることさえできなかったかもしれない。健太は最初のうちはどもりを気にしてあまり喋らなかったが、打ち解けていくうちに、だんだんと喋るようになった。健太の家は木島家とは違い、裕福な家だった。父親は医者で、中学生の二人の兄は西宮市にある中高一貫の私立の進学校に通っていた。しかし末っ子の健太だけは父親の優秀な遺伝子を受け継がなかったようだ。三年生から兄二人が通っていた塾に行かされたが、全然効果がないということで、四年生の三学期からは行かなくなっていた。本人は「解放された」と喜んでいたが、親にも見放されたというのが実際のところだろう。もっとも本人もそれはわかっていたはずだ。ところで、塾の効果は別のところに現れた。健太は塾に通いだしてから吃音症になったのだ。それは塾を辞めても治らなかった。彼はクラスだけでなく、家でもほとんど会話をしないということだった。この物語には感動した。もしぼくがもう少し自分に自信があったなら、アーサー王に憧れただろう。しかし当時のぼくにはアーサー王は偉大過ぎて、空想の世界でも自分と同一視はできなかった。それよりもぼくが惹かれたのは、アーサー王を助ける「円卓の騎士」たちだ。騎士団の一員になら、ぼくでもなれるかもしれないと思ったのだ。いや、実際には、「騎士団」というネーミングに格好良さを感じただけかもしれない。「そ、そやけど、お姫様というよりも、じょ、女王様って感じやけどな」「貴婦人のことや。高貴で美しい女性や。まあ、ぶっちゃけて言えば、お姫様やな」騎士団を作りたかった本当の理由は、そうすれば勇敢な男になれるかもしれないと思ったからだが、二人の前で、それを口にするのは、自分が臆病な男だと認めるような気がして言えなかった。ぼくが勇気を手にしたのは昭和の最後の夏だ。あれから三十一年の歳月が流れた。平成は過ぎ去り令和となり、十二歳の少年は四十三歳の中年男になった。陽介は、ぼくと二人きりのときによくそう言った。健太の保護者みたいな気持ちでいたようだが、決して兄貴風を吹かすようなことはなかった。「これが円卓や。丸いテーブルは上座とか下座がなくて、すべての騎士に上下の区別がないんや」「有村さんかあ――」陽介は言った。「たしかに奇麗やし、お姫さまって感じやな。有村さんやったら賛成や」父は学生時代の同級生が経営している中古車販売の会社で働いていた。前に働いていた会社が倒産して、お情けで雇ってもらったのだ。給料は安かった。家の中では母やぼくに偉そうにふるまったが、それは会社でのうっぷん晴らしの面があった。幼稚園に通っていたとき、父が働いているところを見たことがある。夏、駐車場で車を洗っていたのだが、二十歳を少し超えたくらいの若い支店長に「おっさん、手を抜かんと洗っとけよ」と怒鳴られて、へらへらと愛想笑いを浮かべていた。その日以来、父が働く店の前は決して通らなくなった。そんなわけで、騎士団の名前は「円卓の騎士」にあっさりと決定した。収納ケースの中にはいろんなものがあった。いざというときのための懐中電灯、夏のやぶ蚊対策のための殺虫剤と蚊取り線香、トランプ、非常食の乾パン(これは缶に入れたうえで、乾燥剤をたっぷり入れた密閉ビニール袋に入れていた)などだ。
今回は、百田尚樹さんのデビュー作品から現在までに出版された、全作品一覧と新刊&文庫本情報をご紹介します。まだ、読まれていない本があれば、これを機に読んでみてはいかがでしょうか。 著者 百田尚樹 (著).
人生で最も大切なもの。それは、勇気だ。ぼくが今もどうにか人生の荒波を渡っていけるのは、31年前の出来事のおかげかもしれない――。昭和最後の夏、ぼくは仲の良い友人2人と騎士団を結成する。待ち受けていたのは、謎をめぐる冒険、友情、そして小さな恋。新たなる感動を呼び起こす百田版「スタンド・バイ・ミー」、遂に刊行。家は貧しく、母子家庭で生活保護を受けていた。隣に住んでいる陽介の祖母も、近所に住んでいる陽介の叔母も、生活保護を受けていた。当時は生活保護という制度が今ほど一般的ではなく、町の人の多くは働かないでお金をもらうのは恥ずかしいことだと考えていた。一度、うちの母が「木島君も大きくなったら、多分生活保護を受けるやろな」と言った。ぼくが理由を聞くと、母は「生活保護というのは連鎖するんや」と答えた。自分の友人が母にそんなふうにバカにされて決めつけられるのを聞くのは嫌だったが、社会も人生も知らないぼくには、何と言い返せばいいのかわからなかった。「今までもぼくらは仲良かったけど、騎士団を作ったら、もっと団結力が高まる」日常的な身の回りの出来事から、世界を揺るがすニュースまで、本が扱うテーマは森羅万象。四季折々の年間イベント、仕事、暮らし、遊び、生きること、死ぬこと……。さまざまなテーマに沿う本の扉をご用意しました。扉を開くと読書の興味がどこにあるのか見えてきます。小学校最後の夏を迎えようとしていた頃、ぼくは意気地なしで臆病な子供だった。それを周囲に知られないように、いつも陽気にふるまい、時には向こう見ずな風を演じてもいた。しかし今思えば、同級生たちには本当はそうではないとばれていたかもしれない。というのも、口だけは達者だったが、ケンカになりそうになると、途端に意気地なしになったからだ。それでもいじめられっ子にならなかったのは、二人の友人がいたからだ。もっとも、その二人はぼくのボディーガードになってくれるどころか、ぼく以上にケンカが弱かった。有村由布子は同じクラスの女子で、学校一の美少女だった。背はぼくよりも頭ひとつ分は高く、長い髪の毛は背中の真ん中近くまであった。とても大人びた魅力があり、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。実際、有村由布子はぼくらよりも一歳上だった。彼女は帰国子女で、アメリカで病気をしてしばらく学校へ通っていない期間があったのと、学期の始まる関係か何かで、一年前、アメリカから転校してきたとき、本来は六年生なのに五年生からスタートしたのだ。それにおそらく両親が東京出身なのだろう、きれいな標準語を喋った。人知れず忠誠を誓うのが騎士の姿だと、ぼくはぼんやりと考えていたが、二人の意見は、それでは意味がないというものだった。一時間以上議論した末に、本人に告げることになった。このとき、今後、騎士団としての行動は話し合いで決め、意見が分かれたときは多数決で決定するということも決まった。今でも惜しいなと思うのは、秘密基地の写真を撮っておかなかったことだ。息子たちに見せてやれば、父は大いに尊敬を集めたに違いない。父と中学生は団扇の取り合いで揉み合いになり、それは殴り合いに発展した。父は中学生にさんざんに殴られ、地面に叩きつけられた。鼻血で顔も服も真っ赤になって地面に這いつくばる父の姿は、その後、何年も夢の中に現れた。今でも、鼻血を見ると、そのときの嫌な記憶が蘇る。ところで、有村由布子を騎士団のレディにするとして、それを彼女に告げるかどうかが、騎士団の会議の最初のテーマになった。「なれるよ」とぼくは言った。「それを目指せば、きっとそうなるんや。ひとりやったら無理かもしれんけど、三人おったら頑張れる」とぼくは一呼吸おいて言った。これから最も重要なことを二人に言わなければならない。たしかにそうかもしれないと思った。それならなおのこと騎士が愛を捧げる相手としてふさわしい。宅地造成業者が秘密基地の跡に気付いたかどうかはわからない。そのころには基地の天井も扉もなくなっていたし、中にあるソファーやテーブルを見て、ゴミ捨て場と勘違いされたかもしれない。あるいは、ホームレスの住居跡とみなされたかもしれない。ただ、作業員の中に、何かを思い出した者がいた可能性はある。というのは、騎士団が結成された年の夏の終わり、基地周辺はニュース映像で何度も取り上げられたからだ。「違うんや。なんでかと言うと、さっき言うたように、付き合ったりはせえへんからや。これはミンネと言うて、普通の愛よりもっとすごいんや」ぼくが「騎士団」を結成しようと考えたのは、小学校の最後の夏休みに入る約一ヵ月前だった。きっかけは学校の図書館で借りて読んだ子供用の『アーサー王の物語』だ。岩に突き刺さった名剣エクスカリバーを引き抜き、偉大な王になった伝説の英雄の話である。「そやけど、お姫さまって、おとぎ話かファンタジーの世界みたいやないか」陽介が言った。「ドラクエみたいやで」「まあ、ええわ。ほんで、その貴婦人というのは誰なんや」陽介が訊いた。「あいつは親の期待につぶされてしもたんや。いっつもできのいい兄貴たちと比べられて、きついんやと思う。あのままでは、ほんまの劣等生になってしまう」ぼくらは基地内の小さな丸テーブル(これも粗大ごみ置き場から持ってきたものだ)を囲んで座っていた。入口の扉を開けていたから、蝋燭をつけなくても互いの顔がよく見えた。陽介は自分のことは棚に上げて健太のことを心配していた。たしかに健太はぼくらと出会った五年生の頃から急速に学力を落としていた。それでも陽介よりはかなりましだった。松ヶ山は町はずれにある小高い丘だ。小学校からは三キロ近く離れている。山という名前が付いてはいるが、高さはせいぜい三〇メートルほどの小さな丘だ。古墳の跡だと言う人もいたが、何かが出土したという話は聞いたことがない。今もどうにか人生の荒波を渡っていけているのは、ほんのわずかに持ち合わせた勇気のおかげかもしれない。「今はドラクエは忘れよう。実際に、中世の騎士は姫に愛と忠誠を誓ったんや。これは本当の話や。おとぎ話やないんや」ぼくは団扇を取ろうと懸命に手を伸ばしたが、背の低い子供では団扇を取るのは無理だった。父はそんなぼくのために何とか団扇を取ろうと頑張ってくれた。たまたまぼくの頭上に団扇が落ちてきて、父はそれを掴んだ。その瞬間、ぼくは歓声を上げた。ところが、父よりもわずかに遅れて、背の高い中学生が同じ団扇を掴むと、そのまま父から団扇を奪い取った。父は中学生から団扇を奪い返した。ぼくの目には父はスーパーマンのように見えた。しかしその喜びは次の瞬間に悪夢に変わった。その後のことはこうして書くのも気が重い。「そのあたりはぼくもようわからへんけど――多分、付き合いたいというもんやないんやないかと思う。そやけど、それは付き合ったりするよりもずっと素晴らしい愛なんや」「健太は俺らしか喋れる相手がおらへんのや。そやから、俺らはあいつの友達でおらんとあかん」その日以来、ぼくは同級生と本気でケンカができなくなった。口ゲンカの間はいいのだが、それが殴り合いに発展しそうな空気になると、恐怖で体がすくんだ。自分でも情けなかったが、父からその性質を受け継いだのだから仕方がないと思った。1956(昭和31)年、大阪市生れ。同志社大学中退。放送作家として「探偵!ナイトスクープ」等の番組構成を手掛ける。2006(平成18)年『永遠の0』で作家デビュー。他の著書に『海賊とよばれた男』(第10回本屋大賞受賞)『モンスター』『影法師』『大放言』『フォルトゥナの瞳』『鋼のメンタル』『幻庵』『戦争と平和』などがある。ぼくが騎士団結成の理由をこじつける前に、陽介が「面白いやないか」と言った。当然、クラスの男子の憧れの的だったが、有村由布子はクラスの幼い男子など眼中にない感じだった。ぼくらのクラスでは、男子は女子を呼び捨て、女子は男子を君付けで呼ぶことが多かったが、有村由布子だけは男子からも女子からも「さん付け」で呼ばれていた。つまりそれくらい独特のオーラがあったのだ。「肉体的な愛ってなんやねん。精神的な愛というのも、意味不明やで」陽介と健太はうなずいたが、同時に二人の顔が少し赤くなった。ぼくは見てはいけないものを見てしまった気持ちになって、視線を頭上の入口に向けた。開けた扉から見える小さな青い空に、一条の白い線が引かれるのが見えた。あっと思った。それは飛行機雲だった。飛行機雲なんて何度も見ていたが、あれほどくっきりとしたのを見たのは初めてだ。今も、飛行機雲を見ると、あの騎士団結成の日を思い出す。「騎士団」が結成されたのは六月の最後の日曜日だ。前日まで雨が降り続いていたが、その日は朝から晴れていた。ものすごく暑い日だったのを覚えている。もっとも秘密基地で何をやるというわけでもなかった。パンを食べたり、バカ話に花を咲かせたり、トランプの大貧民をやったりするだけだ。でも、ぼくらにとって、そこはどこよりも神聖な場所だった。これは百科事典そのままの受け売りだったが、二人は感心して聞いていた。「でも、その愛は普通の愛やない。宮廷的愛とゆうて、肉体的な愛やなくて、精神的な愛なんや」天井の板の上には土を置いて擬装したが、扉部分はそうはいかない。でも陽介がいいアイディアを思い付いた。発泡スチロールを細かくちぎって扉一面に貼り付け、その上に茶色の塗料をぶっかけるというものだ。それで一見すると、土に見えた。陽介は勉強はからきしできないが、そういう発想はすぐれている。ぼくはずっと自分の臆病さをなくしたかった。ぼくの臆病は父譲りだった。そんな遺伝があるのかどうかは知らなかったが、少なくともぼくはそう信じていた。いつもは野球の話で盛り上がるのに、阪神タイガースが早々にペナントレースから脱落して大洋ホエールズと最下位争いをしていたこともあって、話題にすら出なかった。おまけに頼みのバースはアメリカに一時帰国したまま一向に帰ってこなかった――結局、そのまま退団となった。五年生の終わりに発売された「ドラゴンクエストⅢ」は、ぼくらの大好きなゲームだった。いや、ぼくらだけではない、クラスのほとんどの男子がやっていた。「騎士の愛やな。これは何か見返りを求めるものやないんや。すごく尊いもので、ドイツでは騎士の『宮廷的恋愛』をうたった歌をミンネザングといい、それを歌う吟遊詩人はミンネゼンガーと呼ばれてたんやで」ぼくがその名を出したとき、陽介と健太の顔がぱっと明るくなった。一冊の本には、他のいろいろな本とつながる接点が隠れています。100年前の物語や、世界の果ての出来事と、実は意外な関係があるのかもしれません。本から本へ、思いがけない出会いの旅にでてみませんか。どのルートを選ぶかは、あなた次第です。あの夏、ぼくは「勇気」を手に入れた。稀代のストーリーテラーによる約3年ぶり、渾身の長編小説。松ヶ山はそれから十年後に大規模な宅地開発がなされ、今は丘全体が住宅街になっている。地名も変わり、桜ヶ丘という洒落た名前の町になった――当時は桜の木なんか一本もなかった。もちろん秘密基地があった形跡などどこにもない。「騎士はまず強ないとあかん。ほんで、何よりも名誉と勇気を重んじるんや。正直で、礼儀正しいふるまいをせなあかん。どんなときでも仲間を大事にする。そういう騎士団を作るんや」織田信長に一族を滅ぼされ、武門の再興をはかりながら、絵筆に生涯をかけた。〈とんぼの本〉は、1983年の創刊。 美術、工芸、建築、写真、文学、歴史、旅、暮らしをテーマにしたビジュアルブック・シリーズです。今、ぼくの書斎の机の引き出しの中には、騎士団のバッジが眠っている。盾がデザインされた二センチほどの小さなもので、陽介がハンダを溶かして作った。当時は裏に安全ピンをハンダで付けていたが、今は取れてバッジ本体しか残っていない。あの夏、ぼくらはそれをシャツに付けていた。大人になってから何度も考えたことがある。それは、あのとき、二人が騎士団結成を「くだらない」と思って興味を示さなかったなら、ぼくの人生は全然違ったものになっていたかもしれない、ということだ。いや、もしかしたら、ぼくは勇気を得ることさえできなかったかもしれない。健太は最初のうちはどもりを気にしてあまり喋らなかったが、打ち解けていくうちに、だんだんと喋るようになった。健太の家は木島家とは違い、裕福な家だった。父親は医者で、中学生の二人の兄は西宮市にある中高一貫の私立の進学校に通っていた。しかし末っ子の健太だけは父親の優秀な遺伝子を受け継がなかったようだ。三年生から兄二人が通っていた塾に行かされたが、全然効果がないということで、四年生の三学期からは行かなくなっていた。本人は「解放された」と喜んでいたが、親にも見放されたというのが実際のところだろう。もっとも本人もそれはわかっていたはずだ。ところで、塾の効果は別のところに現れた。健太は塾に通いだしてから吃音症になったのだ。それは塾を辞めても治らなかった。彼はクラスだけでなく、家でもほとんど会話をしないということだった。この物語には感動した。もしぼくがもう少し自分に自信があったなら、アーサー王に憧れただろう。しかし当時のぼくにはアーサー王は偉大過ぎて、空想の世界でも自分と同一視はできなかった。それよりもぼくが惹かれたのは、アーサー王を助ける「円卓の騎士」たちだ。騎士団の一員になら、ぼくでもなれるかもしれないと思ったのだ。いや、実際には、「騎士団」というネーミングに格好良さを感じただけかもしれない。「そ、そやけど、お姫様というよりも、じょ、女王様って感じやけどな」「貴婦人のことや。高貴で美しい女性や。まあ、ぶっちゃけて言えば、お姫様やな」騎士団を作りたかった本当の理由は、そうすれば勇敢な男になれるかもしれないと思ったからだが、二人の前で、それを口にするのは、自分が臆病な男だと認めるような気がして言えなかった。ぼくが勇気を手にしたのは昭和の最後の夏だ。あれから三十一年の歳月が流れた。平成は過ぎ去り令和となり、十二歳の少年は四十三歳の中年男になった。陽介は、ぼくと二人きりのときによくそう言った。健太の保護者みたいな気持ちでいたようだが、決して兄貴風を吹かすようなことはなかった。「これが円卓や。丸いテーブルは上座とか下座がなくて、すべての騎士に上下の区別がないんや」「有村さんかあ――」陽介は言った。「たしかに奇麗やし、お姫さまって感じやな。有村さんやったら賛成や」父は学生時代の同級生が経営している中古車販売の会社で働いていた。前に働いていた会社が倒産して、お情けで雇ってもらったのだ。給料は安かった。家の中では母やぼくに偉そうにふるまったが、それは会社でのうっぷん晴らしの面があった。幼稚園に通っていたとき、父が働いているところを見たことがある。夏、駐車場で車を洗っていたのだが、二十歳を少し超えたくらいの若い支店長に「おっさん、手を抜かんと洗っとけよ」と怒鳴られて、へらへらと愛想笑いを浮かべていた。その日以来、父が働く店の前は決して通らなくなった。そんなわけで、騎士団の名前は「円卓の騎士」にあっさりと決定した。収納ケースの中にはいろんなものがあった。いざというときのための懐中電灯、夏のやぶ蚊対策のための殺虫剤と蚊取り線香、トランプ、非常食の乾パン(これは缶に入れたうえで、乾燥剤をたっぷり入れた密閉ビニール袋に入れていた)などだ。