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自民党の代表者や民主党の代表者というのは、政治にあまり関心がない方でも大概はご存知のことと思います。発足時の内閣支持率も歴史上最高値を叩き出し、小泉人気衰えずの意気を見せ、2001年7月の参議院議員選挙では自民党が圧勝しました。しかしながら、以上の政策を実施する財源を確保できず、財政支出削減目的で「事業仕分け」を行うも、過去最大44兆円もの赤字国債を発行してしまいました。いわく、実施困難な財政支出削減計画の一環として掲げていたのは「公共事業廃止」や「天下り根絶」であり、教育支援面において掲げていたのは「子供手当て」や「高校授業無償化」などですが、これも収集がつかぬことになりました。国民にしてみれば、「皆が将来の不安もなく、明るく楽しく暮らしていける素晴らしい未来を確約してくれる政党」であれば、結局はどんな名前でも別に構いませんよね。略して民主、DPJ(Democratic Party of Japan)と呼ばれます。結党に際し、党内外から広く公募された党名で、「日本保守党」、「民主自由党」、「保守党」、「日本国民党」などが挙げられましたが、結局は応募されてきた名は採用せずに「自由民主党」を党名としました。特に小泉純一郎は、国民から圧倒的な支持を受け、小泉旋風と呼ばれるまでの現象を巻き起こしました。麻生太郎、谷垣禎一、福田康夫、安倍晋三の4人がポスト小泉の名を継ぐにふさわしいとされました。民主党は、1988年に旧民主党、民政党、新党友愛、民主改革連合が合併してできました。2011年に起きた東日本大震災においては、原発事故対応にも後手後手に回り、指導力の無さを露呈しました。実は、民主党という政党は既になく、2016年3月27日に解散しました。1955年に日本民主党と自由党が合同し、結成したのが自由民主党です。その危機対応能力の無さや、対処における不手際により、管直人率いる内閣は総辞職に追い込まれてしまいました。その後、2010年に民主党に大敗を喫しましたが、2011年の原発事故の対処能力の無さを民主党が露呈、その余波を受けた形で、2012年(平成24年)9月の総裁選で安倍晋三が選ばれ、自民党が再び与党完全復帰を果たしたのです。2012年(平成24年)9月の総裁選で、自民党の安倍晋三が華々しく返り咲くと同時に、民主党は衰退の一途をたどりました。2009年時点での民主党の主な公約は、主に以下の事項となります。総理大臣だけ見ても、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘、竹下登、海部俊樹、宮澤喜一(72歳にして総理総裁に就任)、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三(総理総裁に就任するも病に倒れ辞任。その後、再び総理の座に返り咲く。総理総裁に2度就任した)という名が挙がります。資本家(経営者や投資家など)の利益に重きを置く傾向があると言えます。1955年、自由党と日本民主党が合併して成ったのが自由民主党です。その後、「泥臭く黙々と仕事をこなしていく姿勢で政治を前進させ、地道に国民の信頼を取り戻す」という謳い文句と共に、ナマズ総理よろしく野田佳彦が首相となりましたが、発足当時から閣僚の不祥事や離党者が後を絶たず、そのとき既に民主党は分裂寸前でした。長きに亘り、日本の政治の中心核として居続けている自民党は、多くの政治家を世に送り出しています。いわく、2009年9月に悲願であった政権交代を実現し、鳩山由紀夫率いる鳩山内閣が成立したのです。自民、LDP(Liberal Democratic Party of Japan)などとも略されます。2009年9月から2012年12月までは自民党から政権を奪取し、日本の政治を動かしました。党歌「われら」では、「すぐれた昔の文化をわれらの子らへ月日を経ても遺していこう」などという趣旨の言葉が謳われています。両者とも「民」の字が入っているあたり、民を中心に置き、民に尽くしてくれるありがたい政党なのでしょうか。その後、2016年に維新の党を吸収し、改名して成ったのが民進党です。財政的に実現困難な公約を掲げて徐々に追い込まれていた折り、2011年(平成23年)に東日本大震災が起こりました。それらの埋め合わせのためか、「事業仕分けの実施で財政支出削減ができる」などと豪語したにも関わらず、平成22年度予算案において44兆円の赤字国債を発行することになり、多くの国民の期待を裏切りました。維新の党との合流というのが解散理由で、民主党に替わって後継政党として成ったのが民進党です。わかりやすく政治を行う姿勢や、輝かしい太陽の光が人びとに降り注ぐ平等な愛情を意味しています。2009年~2012年(平成21年~24年)は、民主党に政権交代を余儀なくされたものの、結党以来ほとんどの期間は政権与党の座に鎮座し続けています。2010年6月には、鳩山内閣総辞職に追われた後、党代表選実施により、副総理の菅直人が選ばれ、菅内閣が正式に発足しました。2005年頃から、「ポスト小泉」と呼ばれる人々の名が世間に登場しました。1998年4月27日から2016年3月27日までは存在していた政党です。20年使われた「民主党」の党名は、いまや過去のものとなったのです。「民主党」は、2009年に劇的な勝利を収めて自民党から政権を奪取するも、その後の実現不可能な公約に自らが振り回される羽目に陥りました。自民党のシンボルマークは、「明るい太陽のもとで自由にのびのびと暮らす人びと」です。 「政権交代」のことばをよく聞くようになり、私も政権交代が必要だと思います。インターネット上の他の説明を読んでいても長すぎてわかりません。政権交代が必要だと思われる方、簡単に箇条書きで手短に教えていただけませんでしょうか。 (自民党と社会党以外にも日本共産党・公明党・民社党などの野党がありました)おおざっぱに言えば、自民党は自由主義・伝統重視の右派的な政党であり、社会党は社会主義・憲法の近代的な価値を重視する左派的な政党です。この結果、社会党は全国で過半数以上の候補を立てないようになりました。つまり、最初から政権を狙う気がなくなってしまったわけです。自民党も例外ではなく、これが55年体制の最大の問題点と言えるかもしれません。1993年8月、衆議院選挙で自民党は惨敗。ついに衆議院でも過半数を割りました。もちろん選挙ごとにある程度議席が増えたり減ったりはするのですが、常に野党が1/3の議席はキープするのです。55年体制とは、1955年から38年間続いた日本の政党政治の体制です。最初に、そもそも自民党は日本民主党と自由党の合同によって生まれたという話をしましたが、当初から日本民主党系議員と自由党系議員になる派閥争いというのがありました。田中角栄内閣が倒れると三木武夫内閣ができ、三木が下ろされると福田赳夫内閣ができる……といった具合で、自民党の派閥の間でぐるぐる政権を回すということが行われました。いったいなぜ55年体制というものができたのか、問題点はなんだったのでしょうか。例えば、定数(当選者数)3人の区があるとします。いくら自民党が強くても3人全員当選は難しいので、1位は自民、2位は社会党、3位は自民、などという結果になることが多くなります。つまり政党による政権交代は起きないのですが、派閥による疑似的な政権交代は起きていたことになります。(もちろん実際には4人以上の区がありますし、社会党が強い区もあれば、共産党などの他の党が勝つ場合もあるので単純にはいきませんが)しかし、ひとつの党による支配が長く続くと政権は腐敗するとよく言われます。しかし、細川内閣は長くは続かず、その後継の羽田孜(はたつとむ)内閣も短命に終わりました。政権交代は起きないけど、憲法を変えることもできないというバランスで成り立っていたのが55年体制だったのです。ちょっと深い話になりますが、中選挙区制では同じ選挙区内で自民党の候補どうしによる戦いということがどうしても起こります。戦後日本の政治史は55年体制によって築かれたといっても過言ではありません。こうして強い与党・自民党とその半分ぐらいの野党の社会党というの体制が、その後ずっと続いたのです。自民党はずっと政権の座についていて、この期間中は歴代の総理大臣も全部自民党の議員でした。これが全国で行われれば、単純計算で3分の2が自民、3分の1が社会党になるわけです。自民党というのは一つの党でありながら、党内に常にライバルがいるということになるわけです。それが中選挙区制によって激しくなり、自民党の中でグループを作ってお互いをけん制し合うという状況がだんだん生まれてきたのです。こうして巨大な保守政党・自民党と、それに対抗する社会党ができあがったわけです。この制度は国民の多様な意見を反映させるというメリットもありましたが、問題点もありました。これによって国民の不満が多少は解消され、自民党の政権が長く続いた理由になっていたのです。その後、自民党は民社党や公明党と協力し、なんとか政権を維持しました。その一方で、自民党も表向きは改憲を党の目標としていましたが、議席数が2/3に届かないので具体的な改憲への動きを見せないという時期が続きました。 ここでもう一度おさらいしたいんですが、自民党から民主党に政権したときに異常なまでの数の票が民主党に入りましたよね?いざ政権交代をしてみたら、韓国朝鮮人が支配する反日左翼の政党でしたよね?なぜ私たち国民は自民党が徹底的に悪 2009年9月から2012年12月までは自民党から政権を奪取し、日本の政治を動かしました。 いわく、2009年9月に悲願であった政権交代を実現し、鳩山由紀夫率いる鳩山内閣が成立したのです。 1955年(昭和30年)から2009年(平成21年)までは、1993年(平成5年)から1994年(平成6年)の一時期を除き長期にわたって日本中央政界で自民党政権が続いていた間は、日本における「政権交代」という言葉は「非自民党政権樹立」という意味で使われることが多かった。 あなたの言いたいことは、坊主憎けりゃ袈裟までも・・・・・朝鮮目の敵。漫画がすべての愚か者目が・・・・・・・あんたの主張は一言でいえば○○じゃ無いの・・・・・・そうですね、一番の原因は小泉政権のペテンではないかと思います、小泉政権はあれをするこれをするといっていましたが、その殆どをしておらず、それがばれる前に小泉氏は逃げました、多分国民はその無責任な自民党の体質を批判したのであって、小泉政権という虚構が崩れたことが主な原因であると思います、長年の制度疲労による交代。・90年代までの景況を知る世代には平成小泉景気も実感のない不況の延長で、民間企業には無い安定と厚遇が浮き彫りで庶民の閉塞感。・小泉郵政解散による摂りすぎた反動。(自民党の誤算 安倍の体調不利用と覚悟のない福田)民主党が唱える政治主導による予算編成・公務員制度改革・バラマキ政策などが、長年の閉塞感に疲れた庶民が共感した政権交代。政権交代の一番の原因は不景気でした。バブルが崩壊し、その後失われた10年といわれていたのがさらに20年といわれるようになりました。その原因を探るとどうしても時の政権の批判ということになります。自民党は公共事業のばら撒きや既得権益の死守、自分たちの票田の選挙民だけ保護することで延命してきました。しかし景気後退で税収は減り、公共事業は削減、票田だった団体も縮小していき、力が弱ってきたところに年金問題や増税など自民党員のみならず無党派層まで刺激する結果となりました。これを機とみた民主党ですが自民党の悪い部分だけをことさら強調し、そこを糾せるのは自分たちだけだと喧伝したわけです。そこのところはまだ良いでしょう、問題は左的な考えを封印しマニュフェストではあまり目立ってなかったため「やられた」というのが正直なところじゃないでしょうか。当時マニュフェストでは「政治主導」「公務員改革」「天下り禁止」「年金問題の解決」「高速道路無料化」「子ども手当て」・・・などがあがり、財源は埋蔵金があるから大丈夫だと答えていました。しかし選挙戦になると日教組や労働組合が動き出し、あれれ?と思った無党派層・元自民党反自民党員などは「一度くらいお灸をすえて」程度に考え、安心していたのですがその後の状況はご存知の通りです。自民党が悪すぎたのと長年政権交代がなかったことで左系が政権を獲るとどうなるか学習してなかった悲劇ですよね。ただその反省もあり、先日の山口地方での選挙では原発推進と反対で町長選が行われたわけですが、「反対」しか言わない中身のないサヨには票をいれなくなっています。民主党政権は日本にとって大打撃となりましたが、生み出したのは巨人・若貴・自民党と何でも長いものに巻かれていれば安心だと思っていた日本人に罰が当たった結果でしょう。しかし、少なくとも今後は簡単には騙されなくなったと思って・・・いいんでしょうか、まだまだ安心できないかな。希望を持てるような日が来てほしいと熱望しています。簡単に言えば、それまでの自民党政権時代のいわゆる「官僚支配」にNOを言いたい方が多かったからだと思います。そして現在、民主党政権でも「官僚支配」が自民党政権時代と同様もしくはそれ以上に強まっているように感じております。個人的には、もう二度と自民党政権に戻ってほしくありません。かといって、民主党政権にも失望させられました。私は、次の衆議院選挙では社民党か共産党に投票するつもりです(私は日の丸と君が代とアメリカ合衆国が大嫌いですので)。比較対象が小泉さんというのもあるかな。急激に動かなくなったという感じはありました。民主党は野党なのでそれはもう自由に反論しまくりでしたし勢いがありました。自民党にちょっと反省してという気持ちが有ったと思いますが、あまりにもそのように求める人が多かったのか民主党が大勝してしまった。当時でも「勝ちすぎ」という感じはありましたね。 小泉さんは問題も多いけど動いて居ました。ただ最後をきれいに処理しなかったので、続いた人達がぎくしゃくしている状態でしたね。 どちらにしろ骨太の議員が減ったことも要因かな。違うね。反自民の感情は昔から国民の間で沸々と煮えたぐっていた。昭和から平成までほとんどの時代を自民が政権を掌握しており事実上、独裁政権といっても過言ではなかった。その独裁を許した結果、官僚の野放しやら、借金をたらふく増やす事を止めず、その他諸々国民の反感を買っても何食わぬ顔をし続けた。そういう意味では、他の党に変わるのは時間の問題であったし変化を望んだのは国民の願望でもあった。民主を支持していたのではなく、あくまでも「反」自民だったんです。ですが蓋を開けてみれば結果はご覧の通り。国民の大半は改めてこの国にはまともな統治者が居ない事に気がついたんです。自民もダメ、民主もダメ、政治家全部腐ってる。官僚もしかり。ハッキリ言って自民の方が「まし」だから、自民に戻そうもダメだと思いますね。日本が抱えている危機を乗り越えられる政党は残念ながらありません。終わりです。本当に危機感もってるなら、政治家や官僚自ら襟を正すでしょ?自民に戻っても無理ですね。どの政党になっても無理ですね。必要なのは革命に近いほどの大きな改革でしょう。本当に日本が根底から覆すようなことをしない限り無理。でも、まぁ無理だね。これが落日していく国の現状です。だいたい経済が右肩上がりでないと、国家を運営できない政治家や官僚なんて無能の極めとは思いませんか? 普通の国は、右肩上がりでなくても苦労してやりくりしてるんですよ。それができないから、湯水のように借金をこしらえ、私利私欲を止めなかった。屑ですよ。
自民党の代表者や民主党の代表者というのは、政治にあまり関心がない方でも大概はご存知のことと思います。発足時の内閣支持率も歴史上最高値を叩き出し、小泉人気衰えずの意気を見せ、2001年7月の参議院議員選挙では自民党が圧勝しました。しかしながら、以上の政策を実施する財源を確保できず、財政支出削減目的で「事業仕分け」を行うも、過去最大44兆円もの赤字国債を発行してしまいました。いわく、実施困難な財政支出削減計画の一環として掲げていたのは「公共事業廃止」や「天下り根絶」であり、教育支援面において掲げていたのは「子供手当て」や「高校授業無償化」などですが、これも収集がつかぬことになりました。国民にしてみれば、「皆が将来の不安もなく、明るく楽しく暮らしていける素晴らしい未来を確約してくれる政党」であれば、結局はどんな名前でも別に構いませんよね。略して民主、DPJ(Democratic Party of Japan)と呼ばれます。結党に際し、党内外から広く公募された党名で、「日本保守党」、「民主自由党」、「保守党」、「日本国民党」などが挙げられましたが、結局は応募されてきた名は採用せずに「自由民主党」を党名としました。特に小泉純一郎は、国民から圧倒的な支持を受け、小泉旋風と呼ばれるまでの現象を巻き起こしました。麻生太郎、谷垣禎一、福田康夫、安倍晋三の4人がポスト小泉の名を継ぐにふさわしいとされました。民主党は、1988年に旧民主党、民政党、新党友愛、民主改革連合が合併してできました。2011年に起きた東日本大震災においては、原発事故対応にも後手後手に回り、指導力の無さを露呈しました。実は、民主党という政党は既になく、2016年3月27日に解散しました。1955年に日本民主党と自由党が合同し、結成したのが自由民主党です。その危機対応能力の無さや、対処における不手際により、管直人率いる内閣は総辞職に追い込まれてしまいました。その後、2010年に民主党に大敗を喫しましたが、2011年の原発事故の対処能力の無さを民主党が露呈、その余波を受けた形で、2012年(平成24年)9月の総裁選で安倍晋三が選ばれ、自民党が再び与党完全復帰を果たしたのです。2012年(平成24年)9月の総裁選で、自民党の安倍晋三が華々しく返り咲くと同時に、民主党は衰退の一途をたどりました。2009年時点での民主党の主な公約は、主に以下の事項となります。総理大臣だけ見ても、佐藤栄作、田中角栄、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘、竹下登、海部俊樹、宮澤喜一(72歳にして総理総裁に就任)、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三(総理総裁に就任するも病に倒れ辞任。その後、再び総理の座に返り咲く。総理総裁に2度就任した)という名が挙がります。資本家(経営者や投資家など)の利益に重きを置く傾向があると言えます。1955年、自由党と日本民主党が合併して成ったのが自由民主党です。その後、「泥臭く黙々と仕事をこなしていく姿勢で政治を前進させ、地道に国民の信頼を取り戻す」という謳い文句と共に、ナマズ総理よろしく野田佳彦が首相となりましたが、発足当時から閣僚の不祥事や離党者が後を絶たず、そのとき既に民主党は分裂寸前でした。長きに亘り、日本の政治の中心核として居続けている自民党は、多くの政治家を世に送り出しています。いわく、2009年9月に悲願であった政権交代を実現し、鳩山由紀夫率いる鳩山内閣が成立したのです。自民、LDP(Liberal Democratic Party of Japan)などとも略されます。2009年9月から2012年12月までは自民党から政権を奪取し、日本の政治を動かしました。党歌「われら」では、「すぐれた昔の文化をわれらの子らへ月日を経ても遺していこう」などという趣旨の言葉が謳われています。両者とも「民」の字が入っているあたり、民を中心に置き、民に尽くしてくれるありがたい政党なのでしょうか。その後、2016年に維新の党を吸収し、改名して成ったのが民進党です。財政的に実現困難な公約を掲げて徐々に追い込まれていた折り、2011年(平成23年)に東日本大震災が起こりました。それらの埋め合わせのためか、「事業仕分けの実施で財政支出削減ができる」などと豪語したにも関わらず、平成22年度予算案において44兆円の赤字国債を発行することになり、多くの国民の期待を裏切りました。維新の党との合流というのが解散理由で、民主党に替わって後継政党として成ったのが民進党です。わかりやすく政治を行う姿勢や、輝かしい太陽の光が人びとに降り注ぐ平等な愛情を意味しています。2009年~2012年(平成21年~24年)は、民主党に政権交代を余儀なくされたものの、結党以来ほとんどの期間は政権与党の座に鎮座し続けています。2010年6月には、鳩山内閣総辞職に追われた後、党代表選実施により、副総理の菅直人が選ばれ、菅内閣が正式に発足しました。2005年頃から、「ポスト小泉」と呼ばれる人々の名が世間に登場しました。1998年4月27日から2016年3月27日までは存在していた政党です。20年使われた「民主党」の党名は、いまや過去のものとなったのです。「民主党」は、2009年に劇的な勝利を収めて自民党から政権を奪取するも、その後の実現不可能な公約に自らが振り回される羽目に陥りました。自民党のシンボルマークは、「明るい太陽のもとで自由にのびのびと暮らす人びと」です。 「政権交代」のことばをよく聞くようになり、私も政権交代が必要だと思います。インターネット上の他の説明を読んでいても長すぎてわかりません。政権交代が必要だと思われる方、簡単に箇条書きで手短に教えていただけませんでしょうか。 (自民党と社会党以外にも日本共産党・公明党・民社党などの野党がありました)おおざっぱに言えば、自民党は自由主義・伝統重視の右派的な政党であり、社会党は社会主義・憲法の近代的な価値を重視する左派的な政党です。この結果、社会党は全国で過半数以上の候補を立てないようになりました。つまり、最初から政権を狙う気がなくなってしまったわけです。自民党も例外ではなく、これが55年体制の最大の問題点と言えるかもしれません。1993年8月、衆議院選挙で自民党は惨敗。ついに衆議院でも過半数を割りました。もちろん選挙ごとにある程度議席が増えたり減ったりはするのですが、常に野党が1/3の議席はキープするのです。55年体制とは、1955年から38年間続いた日本の政党政治の体制です。最初に、そもそも自民党は日本民主党と自由党の合同によって生まれたという話をしましたが、当初から日本民主党系議員と自由党系議員になる派閥争いというのがありました。田中角栄内閣が倒れると三木武夫内閣ができ、三木が下ろされると福田赳夫内閣ができる……といった具合で、自民党の派閥の間でぐるぐる政権を回すということが行われました。いったいなぜ55年体制というものができたのか、問題点はなんだったのでしょうか。例えば、定数(当選者数)3人の区があるとします。いくら自民党が強くても3人全員当選は難しいので、1位は自民、2位は社会党、3位は自民、などという結果になることが多くなります。つまり政党による政権交代は起きないのですが、派閥による疑似的な政権交代は起きていたことになります。(もちろん実際には4人以上の区がありますし、社会党が強い区もあれば、共産党などの他の党が勝つ場合もあるので単純にはいきませんが)しかし、ひとつの党による支配が長く続くと政権は腐敗するとよく言われます。しかし、細川内閣は長くは続かず、その後継の羽田孜(はたつとむ)内閣も短命に終わりました。政権交代は起きないけど、憲法を変えることもできないというバランスで成り立っていたのが55年体制だったのです。ちょっと深い話になりますが、中選挙区制では同じ選挙区内で自民党の候補どうしによる戦いということがどうしても起こります。戦後日本の政治史は55年体制によって築かれたといっても過言ではありません。こうして強い与党・自民党とその半分ぐらいの野党の社会党というの体制が、その後ずっと続いたのです。自民党はずっと政権の座についていて、この期間中は歴代の総理大臣も全部自民党の議員でした。これが全国で行われれば、単純計算で3分の2が自民、3分の1が社会党になるわけです。自民党というのは一つの党でありながら、党内に常にライバルがいるということになるわけです。それが中選挙区制によって激しくなり、自民党の中でグループを作ってお互いをけん制し合うという状況がだんだん生まれてきたのです。こうして巨大な保守政党・自民党と、それに対抗する社会党ができあがったわけです。この制度は国民の多様な意見を反映させるというメリットもありましたが、問題点もありました。これによって国民の不満が多少は解消され、自民党の政権が長く続いた理由になっていたのです。その後、自民党は民社党や公明党と協力し、なんとか政権を維持しました。その一方で、自民党も表向きは改憲を党の目標としていましたが、議席数が2/3に届かないので具体的な改憲への動きを見せないという時期が続きました。 ここでもう一度おさらいしたいんですが、自民党から民主党に政権したときに異常なまでの数の票が民主党に入りましたよね?いざ政権交代をしてみたら、韓国朝鮮人が支配する反日左翼の政党でしたよね?なぜ私たち国民は自民党が徹底的に悪 2009年9月から2012年12月までは自民党から政権を奪取し、日本の政治を動かしました。 いわく、2009年9月に悲願であった政権交代を実現し、鳩山由紀夫率いる鳩山内閣が成立したのです。 1955年(昭和30年)から2009年(平成21年)までは、1993年(平成5年)から1994年(平成6年)の一時期を除き長期にわたって日本中央政界で自民党政権が続いていた間は、日本における「政権交代」という言葉は「非自民党政権樹立」という意味で使われることが多かった。 あなたの言いたいことは、坊主憎けりゃ袈裟までも・・・・・朝鮮目の敵。漫画がすべての愚か者目が・・・・・・・あんたの主張は一言でいえば○○じゃ無いの・・・・・・そうですね、一番の原因は小泉政権のペテンではないかと思います、小泉政権はあれをするこれをするといっていましたが、その殆どをしておらず、それがばれる前に小泉氏は逃げました、多分国民はその無責任な自民党の体質を批判したのであって、小泉政権という虚構が崩れたことが主な原因であると思います、長年の制度疲労による交代。・90年代までの景況を知る世代には平成小泉景気も実感のない不況の延長で、民間企業には無い安定と厚遇が浮き彫りで庶民の閉塞感。・小泉郵政解散による摂りすぎた反動。(自民党の誤算 安倍の体調不利用と覚悟のない福田)民主党が唱える政治主導による予算編成・公務員制度改革・バラマキ政策などが、長年の閉塞感に疲れた庶民が共感した政権交代。政権交代の一番の原因は不景気でした。バブルが崩壊し、その後失われた10年といわれていたのがさらに20年といわれるようになりました。その原因を探るとどうしても時の政権の批判ということになります。自民党は公共事業のばら撒きや既得権益の死守、自分たちの票田の選挙民だけ保護することで延命してきました。しかし景気後退で税収は減り、公共事業は削減、票田だった団体も縮小していき、力が弱ってきたところに年金問題や増税など自民党員のみならず無党派層まで刺激する結果となりました。これを機とみた民主党ですが自民党の悪い部分だけをことさら強調し、そこを糾せるのは自分たちだけだと喧伝したわけです。そこのところはまだ良いでしょう、問題は左的な考えを封印しマニュフェストではあまり目立ってなかったため「やられた」というのが正直なところじゃないでしょうか。当時マニュフェストでは「政治主導」「公務員改革」「天下り禁止」「年金問題の解決」「高速道路無料化」「子ども手当て」・・・などがあがり、財源は埋蔵金があるから大丈夫だと答えていました。しかし選挙戦になると日教組や労働組合が動き出し、あれれ?と思った無党派層・元自民党反自民党員などは「一度くらいお灸をすえて」程度に考え、安心していたのですがその後の状況はご存知の通りです。自民党が悪すぎたのと長年政権交代がなかったことで左系が政権を獲るとどうなるか学習してなかった悲劇ですよね。ただその反省もあり、先日の山口地方での選挙では原発推進と反対で町長選が行われたわけですが、「反対」しか言わない中身のないサヨには票をいれなくなっています。民主党政権は日本にとって大打撃となりましたが、生み出したのは巨人・若貴・自民党と何でも長いものに巻かれていれば安心だと思っていた日本人に罰が当たった結果でしょう。しかし、少なくとも今後は簡単には騙されなくなったと思って・・・いいんでしょうか、まだまだ安心できないかな。希望を持てるような日が来てほしいと熱望しています。簡単に言えば、それまでの自民党政権時代のいわゆる「官僚支配」にNOを言いたい方が多かったからだと思います。そして現在、民主党政権でも「官僚支配」が自民党政権時代と同様もしくはそれ以上に強まっているように感じております。個人的には、もう二度と自民党政権に戻ってほしくありません。かといって、民主党政権にも失望させられました。私は、次の衆議院選挙では社民党か共産党に投票するつもりです(私は日の丸と君が代とアメリカ合衆国が大嫌いですので)。比較対象が小泉さんというのもあるかな。急激に動かなくなったという感じはありました。民主党は野党なのでそれはもう自由に反論しまくりでしたし勢いがありました。自民党にちょっと反省してという気持ちが有ったと思いますが、あまりにもそのように求める人が多かったのか民主党が大勝してしまった。当時でも「勝ちすぎ」という感じはありましたね。 小泉さんは問題も多いけど動いて居ました。ただ最後をきれいに処理しなかったので、続いた人達がぎくしゃくしている状態でしたね。 どちらにしろ骨太の議員が減ったことも要因かな。違うね。反自民の感情は昔から国民の間で沸々と煮えたぐっていた。昭和から平成までほとんどの時代を自民が政権を掌握しており事実上、独裁政権といっても過言ではなかった。その独裁を許した結果、官僚の野放しやら、借金をたらふく増やす事を止めず、その他諸々国民の反感を買っても何食わぬ顔をし続けた。そういう意味では、他の党に変わるのは時間の問題であったし変化を望んだのは国民の願望でもあった。民主を支持していたのではなく、あくまでも「反」自民だったんです。ですが蓋を開けてみれば結果はご覧の通り。国民の大半は改めてこの国にはまともな統治者が居ない事に気がついたんです。自民もダメ、民主もダメ、政治家全部腐ってる。官僚もしかり。ハッキリ言って自民の方が「まし」だから、自民に戻そうもダメだと思いますね。日本が抱えている危機を乗り越えられる政党は残念ながらありません。終わりです。本当に危機感もってるなら、政治家や官僚自ら襟を正すでしょ?自民に戻っても無理ですね。どの政党になっても無理ですね。必要なのは革命に近いほどの大きな改革でしょう。本当に日本が根底から覆すようなことをしない限り無理。でも、まぁ無理だね。これが落日していく国の現状です。だいたい経済が右肩上がりでないと、国家を運営できない政治家や官僚なんて無能の極めとは思いませんか? 普通の国は、右肩上がりでなくても苦労してやりくりしてるんですよ。それができないから、湯水のように借金をこしらえ、私利私欲を止めなかった。屑ですよ。